科学とは何かを調べてみると、自然現象や社会現象を観察・実験・分析を通じて体系的に理解し、客観的かつ再現可能な知識を構築する営みのこと、といいます。
自然より先に科学があるのではなく、科学は常に自然現象を追っているんですね。教科書に載っている事を全て信じていたら、科学の進歩は無いとも言えます。科学が疑うことを出発点とするならば、専門家を信じることが科学ではないし、それは全体主義や一部の宗教の特徴です。
科学的ファシズムの登場
しかし、一部の人達が扱う科学は、自然を単なる「資源」や「データ」として扱うことで結論付け、それ以外の異論を許さない抑圧的な権力として利用するようになりました。いわゆる資本力に乗っかった"御用学者"の増加です。それによって、不都合なデータを揉み消され、都合の良いデータにより科学を自由自在に操った"人工的な自然"が本来の自然に代わって登場しました。このような経済的な利益や効率性を最優先に考える思想や価値観、経済至上主義は、社会全体の幸福や倫理的な考慮よりも、経済成長や利益追求を重視する傾向があります。
小説家ジョージ・オーウェル氏の作品『1984』に描かれた世界は、超管理社会。彼はその現実化に警鐘を鳴らしていました。技術の進歩が必ずしも人々の幸福に繋がるとは限らない、それが全体主義政党「イングソック(イングランド社会主義)」、独裁者「ビッグブラザー」の利権になっている、という世界を描いています。監視装置「テレスクリーン」で人々を監視し、単一のイデオロギーに集約する言語「ニュースピーク」で人々の思考を操作し、考えなくさせる「二重思考」を植え付けている架空の世界ですが、現代にもそれに似た"科学技術(テクノロジー)"が存在します。カメラやセンサーで監視し、AIやビッグデータでプロパガンダを流して情報操作ができますし、その監獄となるスマートシティの計画も政府によって立てられ、国民総生活保護のベーシックインカムが実験的に始まり、作品が警告した通りに人間の家畜化も可能な状況です。突然始まったパンデミック対応はそれを彷彿とさせる、ロックダウン、実験的ワクチン接種キャンペーン、マスク着用義務などの公衆衛生対策により、まさに人々の管理が始まりましたが、同時に、陰謀論、偽情報・デマ、誤情報などといった言葉が登場し、それにより異論は許されなくなりました。現在、ファクトチェック機関の"作られた事実"以外はそうなろうとしています。SDGsやDI、多様性、多文化共生などなども本末転倒なことに人々の自由や安全保障を奪い始めました。
Peer-to-Peer(P2P)ネットワークは、かつてプログラマーの金子勇氏が開発した「Winny」で実現した分散型技術で、ネットワーク上の端末同士が中央サーバを介さず直接データをやり取りする新しい通信方式です。この技術を活用したものの一つに「ブロックチェーン」があり、ビットコインなどの「暗号資産」があります。つまり、その事で言えば、現在の管理通貨制度すら"信用創造"という利権であり、テレビの電波も"垂直統合"という利権です。金子勇氏のWinnyは、著作権法違反幇助の疑いで警察と検察庁に訴えられましたが、7年後に無罪が確定した時には、世界のインターネットはGAFAなどの中央集権型に乗っ取られてしまい、金子勇氏自身も42歳の若さで亡くなりました。
科学的ファシズムに抗い、自然を守ることができるのは、科学が追及すべき自然の一部であり、突然変異で生まれたであろう皆さん(Peer=仲間)一人ひとりなのだということを信じて止みません。